初めまして、この度、富士宮相続相談センターを開設致しました。世の中の相続にまつわる係争の数は右肩上がり。他人事では無く、ある日突然直面する問題にどう対処するべきなのか、個別相談とともに定期的に勉強会を開催していきます。
まずは当センターの代表である、柚木より自己紹介申し上げます。 私は、1983年、富士宮市北町に3人姉弟の長男として産まれました。父は建築業(新築・リフォーム)を営む大工職人で、母はその経理を担当していました。学生時代はバスケに明け暮れ、高校2年生のときに見たアメリカ留学の広告に心惹かれ、高校卒業と同時に渡米。カリフォルニア州の短大シトラスカレッジに入学しました。その後、4大のカリフォルニア州立大学に編入し、卒業後、アメリカの現地法人に就職。製造業の会社と、数人の小さな商社で働きました。ちなみに、その商社のときに、机を並べて一緒に働いていたのが、実は、あのメジャーリーガー大谷翔平選手の通訳、水原一平さんです。
アメリカで暮らして12年が経った頃、母から連絡が。「お父さん、手術することになった」と。父が(歩行が困難になる)脊柱管狭窄症になり、その手術をすることに。私はそれを聞いて、心配だったのと、そろそろ戻ろうという気持ちがあって帰国。手術は無事成功し、父はまた仕事に復帰。私もいっしょに働くようになりました。ただ、私は大工職人ではないので、釘一本打てません。そこで、すでに会社として手がけていた不動産(売買・仲介)を、私が担当することになりました。
しばらくすると、地元ということもあり、友人知人から「この土地(家・不動産)をどうしたらいいかわからない」という相続相談を受けるようになりました。私は改めて、相続全般について、東京に通いながら、とある先生の下で勉強をするようになりました。(受講者は全国から来ています)
そして、その先生からのひと言で、私は地元富士宮で、相続相談事業を本格的にやっていこう!と決意しました。先生から言われました。「相続というのは、その場で結果が出ない。相続対策をして結果が出るのは、そのタイミングが来たときだ」と。だから、大手企業の担当者が相談に乗って、数年経ったら転勤、転職では困ります。相続相談は、あくまで地元で長く責任を持って関われる人間がするべきではないでしょうか。また、相続資産の半分は不動産という事実もあり、これは、私がここ富士宮で取り組むべきことなのだと、強く思いました。
これからも「富士宮で相続相談と言えば、柚木(ゆずき)!」と、皆さんから言っていただけるよう、絶えず勉強し、しっかり取り組んで参ります。どうぞよろしくお願い申し上げます。